6月29日の午前、1匹のタツノオトシゴが姿を消しました。
5月初旬、タツノトシゴ達が繁殖期に入り毎日のように昼夜問わず観察し続けました。
まだ彼らの生態がほとんどわからない状態の中、初めに出会ったタツノオトシゴがオスの「クロちゃん」でした。
他の個体と違う真っ黒な姿、自慢の冠はちょっと低め。
ひと目で彼とわかる姿に愛着を持って観察していた個体でした。
他のオス達より少し小柄でありながら、メスを巡る闘争では一歩も引くことなく他のオスに挑む度胸と根性のあるタツノオトシゴでした。
ライバルのオスであり、クロより体格が良い「リーゼント」にも、尾を巻き付けたり、吻でつついたりと果敢に挑んでいました。
求愛も積極的に行い、また、たくさんのメスからアプローチを受けるプレイボーイぶり。
もちろん、メスがクロの育児嚢に卵を産む「産卵」も見せてくれました。
この時の相手はNo.3と呼んでいる小柄なメスでしたが、それ以外のメスから卵を受け取ることもあり、彼の子育てぶりは評判のようでした。
卵を受け取ったクロは、長い期間をかけしっかりと子どもを育てあげました。
産卵から約一か月後。
クロのお腹からたくさんの子ども達が外の世界へと飛び出して行きました。
この時初めて、生まれてくる子供の色は親と同じ色であることも彼に教わりました。
私の観察した限り、繁殖期が始まってからの約2ヶ月間に、クロは2度子どもを育て上げました。
そして6月29日の朝、次の日に3度目の出産を控えながら、その日を迎える前にこれまでいた場所から姿を消しました。
捕食される瞬間を見たわけではないので、もしかするとどこかで生きているかもしれないし、
あるいは、明日潜りに行けば変わらずそこに出てきているかもしれません。
できればそうであってほしいと思っているのですが、可能性は低い気がします。
これまで、タツノオトシゴなんてあまり美味しくなさそうだから捕食する奴もそうはいないだろうと思っていましたが、
どうやらそれは大きな間違いだったようです。
逆に、見つけてしまえば、ほぼ確実に捕食する事ができる彼らは肉食魚の恰好の餌となっているようです。
特に出産を控え、腹部が著しく肥大化したオスは肉食魚に見つかり易く、狙われる事も多いようです。
これまで、クロを含め5個体のオスが出産直前に姿を消しました。
捕食した犯人である肉食魚も大凡の目途が付いています。
自然の海である以上、食う食われるは仕方がない事ですが、
当初からずっと観察を続けていた個体がいなくなるのでは寂しい限りです。
クロが残した子どもたちが無事に育ち、彼の命が脈々と受け継がれ続けることを願うばかりです。